次男坊が生まれてすぐに手術が必要となり心配しましたがさすが大学病院 小児がんの権威であるT先生に執刀を受ける その時「退院をする日は車で迎えに行こう」と夫。
,いよいよ家に連れて帰れる日の話だ。当時 夫は転職をして間がない頃だった。車なんてとても手が出ない日々。
生まれて28日一ヶ月検診を明日に控えて 可愛いわが子のほっぺをキュッキュとつまんでいると米粒?いいえゴマ粒位のちっちゃな突起物を手の平に感じた。
何軒もの医院、病院を回ったけれど どこも原因がわからなかった。
こんな時は神仏にお願いしよう!西の病院が良いという言葉を信じて某病院へ。
良いように回るときはこんなもんなんだなぁって後から思った。次男を見てくださった先生は癌については良い先生よと窓口で聞き百万の味方を得た。先生は すぐに大学病院を紹介してくださり 全身麻酔ができる4ヶ月まで抗生物質を飲ませて時がたつのを悶々と待つ。
「お母さん もう大丈夫ですよ」と手術室から出てきた息子はほっぺの皮が一枚ぺろんとついている状態だったが、これで元気になると思うとガクンと力が抜けて気を失ってしまった。
「親がこんなんでは困る」と先生にお目玉をもらう。
夫は仕事が終わると1時間かけて毎日電車で息子を見舞ってくれ。痛がって泣く子を一晩中抱っこして病院を歩いてくれた。翌朝はそのまま出勤だ。感謝。
今は亡き両親は願掛けに出かけてくれた。おまじないでもなんでもいい。とこの子が治るならなんでもやってくれた。いよいよ退院の日が決まり 中古の深緑の軽自動車が我が家へ。歴史の第一号だ。
夫と長男がこれに乗り迎えにやってきた。なぜかそのときの車の乗り心地など何にも覚えていない。
緊張していたのかなぁ。退院して少し落ち着いた頃。二階の窓からふと車の天井を見てみると
大きなドラえもんが描かれていた。あぁ まだローンも終わってないのに…
3歳違いの長男がいつの間にか天井に上り釘で描いたものだった。上手に描けていましたよ T君
そうだそうだよね。車は人間の足の役割をしてくれる物だとその時認識をした。
それ以来何台も車を変えたけれど身の丈にあった車選びは今も続いている。